NHKの“みんなのうた”やプチプチ・アニメの『モノだらけ!』などで活躍中のユニットmoogaboogaさんへのインタビューです。
moogabooga(むーがぶーが)
高野真(たかの まこと)と高野文子(たかの あやこ)によるアニメーションユニット。”暮らしの中の想像力”をテーマにアニメーションを制作する。手作業から生まれる図工的でローファイな制作手法を得意とし、ディレクションから人形製作・アニメーション撮影・編集まで、アニメーションにまつわる様々な創作活動を行う。
代表作
おかあさんといっしょ『てとてとパタン』
今月の歌『てとてとパタン』。タブラの音色とオノマトペが楽しい歌詞にあわせて、おにいさんおねえさんと動物たちが楽しく踊る。動植物に扮したおにいさんおねえさん、カラフルな動物たちのデザインがかわいい作品。
プチプチ・アニメ『モノだらけ!』
可愛くも独特なキャラクターデザイン、ダンスなど軽快で楽しい動きが特徴のmoogaboogaさん。お2人にコマ撮りに興味を持ったきっかけから、その作風につながる「物に対する思い」を詳しく聴きました!
Q:コマ撮りに興味を持ったきっかけを教えてください。
竹内泰人(以下、泰人):まずはコマ撮りに興味を持ったきっかけと、そこから仕事へつながるまでの経緯を教えてください。
高校でヤン=シュバンクマイエルに出会う
高野 真(以下 真):僕は高校生のときに美術の時間でシュヴァンクマイエルの映画を見たのがコマ撮りアニメを意識した一番最初でした。
見た後しばらくしてから「あの動きすごかったなぁ」みたいな気持ちがだんだんと出てきて。コマ撮りって独特な動きの質感があるじゃないですか、普通のアニメで見られないような。それが気になって。高校生の頃はバンドをやったり、絵を描いたり色々やってました。やりたいことが色々あって、そういうできることの総合芸術として映像を選んだ気もします。
僕は出身は福岡なんですけど、高校を卒業して東京の映像系の専門学校に行きました。その頃チェコアニメブームがすごくて、シュヴァンクマイエルとかトルンカのDVDが出てて、その影響もあったかな。学校の授業としては実写のCMとかの授業が多かったんですけど、そこで一人でアニメとかコマ撮りをやり始めました。
2年間通って、卒業してすぐにフリーランスになったんですよ。二十歳ですね。その時の学校の先生のつてで映像編集の仕事をやってました。あとwebがちょうど広まってきた時期で、ホームページの仕事がめっちゃあったんです。学校でパソコンがすごい得意になってたから、webのデザインの仕事と映像の仕事を両立しながら3年間フリーランスをやってました。
コ=ホードマンの『砂の城』
高野 文子(以下、文子):私がコマ撮りに出会ったきっかけは短大にいたときです。そのとき京都の短大に通っていて、イラストレーションを専攻してました。映像への興味は少しあって、選択授業で選んだ映像の授業でアニメーションが紹介されていて、そこでコ=ホードマンさんの『砂の城』を見たんですね。それで何と言うか、説明が難しいんですけど、言葉にすると“心が転がされるような感じ”というか今までにない感情が出てきたんですね。
それがきっかけで、イラストレーション科にいたんですけど、アニメを作りたい意欲が湧いて、2年次にアニメを選択してアニメーションを制作し始めました。なので1年次のときはイラストの基礎をやって、2年次になってからアニメーションの勉強や制作を行いました。
その時に色々な作家さんを見て、ノルシュテインさんとかもすごく好きになったのでマルチプレーンを卒業制作でやりました。薄いガラスを机の上に一枚置いて行っただけのような作品なんですけど、カットアウトとか粘土とか色々やりました。
*コ=ホードマン
1942年生まれ、カナダの国立映画制作庁NFBを代表する作家。作品ごとにキャラクター素材を使い分け、それぞれ独自の世界観を作り上げている。積み木の世界を描いた『シュッシュッ』、砂の世界を描いた『砂の城』など。
アート・アニメーションのちいさな学校に入学
2人の出会いは“アート・アニメーションのちいさな学校”。日本の人形アニメーション界の巨匠真賀里 文子(まがりふみこ)さんが校長を務める阿佐ヶ谷の学校。2人はここで本格的にコマ撮りを学んだ。
真:フリーランスを3年間やってたんですが、アニメーションの勉強がしたくて留学とか考えてたんです。アニメを教える専門的な学校が当時日本にはそんななかったから。そんな時にアート・アニメーションのちいさな学校(以下、ちいさな学校)が開校するって聞いて、一期生として入学しました。昼間部と夜間部があって、昼間部に。立体コースに入ったんですが、立体コースはほとんど真賀里さんに弟子入りって感じで、真賀里さんには公私ともどもお世話になりました。
月曜から土曜までぎっしり授業があって、仕事はほぼ出来ないから親に援助してもらいながらって感じでしたね。
文子:私は短大を卒業したら就職するつもりだったんですけど、もっとアニメーションを勉強したいって気持ちが強くなって。先生も応援してくれて、こういう学校があるよとちいさな学校が開校するっていう情報を得まして。それがちょうど私が卒業する翌年に開校だったんです。じゃあもうここしかない!って感じで、親を説得して東京に来ました。
元々イラストアニメーションを勉強してきて、絵を動かすことに興味があったから平面コースに。授業は作画アニメを元にしたものが主でしたが、カットアウトなど手法は自由だったので、私はマルチプレーンで主に制作していました。2年目までは課題がずっとあって、最初は3人とか4人とかチームでやる課題が多くて、ときどき個人でやる課題もあったりしました。
卒業制作『境目のある世界』
真さんの卒業制作。昔話のかちかち山をモチーフにウサギとタヌキが主人公の、人形アニメ、クレイアニメなど手法も様々に、言葉では説明できないすごい作品です。16分。
真:妻にも一部手伝ってもらいましたけど、ほぼ一人で人形を作ったり美術作ったり。1人だったってのもあって、すごい気合いが入った作品でした。ストーリーらしいストーリーじゃないから結構わけわかんないんですけど、あの時は悔いのないように、とにかくやりたいことを全部やろうとしてました(笑)
卒業制作『朝のU(うつわ)』
文子さんの卒業制作。
主人公が朝目覚めてコーヒーを飲んで家を出る前の日常を描いた作品。寝ぼけたふわふわした感覚やコーヒーを飲んだあとの感覚などが独特な視点で描かれています。個人的には細かいヒビのはいったマグカップの描写が細かくて好きです。
再びフリーランス、関西へ
真:ちいさな学校に3年間通った後はフリーランスとしてデザインの仕事や映像編集の仕事をしながら、真賀里さんのアシスタントをしたり、マガリ事務所にお世話になりましたね。
マガリ事務所があったからアニメの仕事にはちょっとずつ関われてたんですけど、自主制作の新作は作れないままで。moogaboogaの名前は学校にいた時から作っていたんですけど、働いてるとなかなか自主制作とかできないから、本格的には活動していなくて。
文子: 私はバイトしながら制作をしたり、短大のときの友達と“ケの二”って名前の人形制作のユニットをしていたので、その展示をするためにちょくちょく関西に行ったりしてました。(※ケの二:坂本ミンと高野文子による人形製作ユニット)
真:そこから2012年に関西に引っ越しました。きっかけは色々あって、東日本大震災の事もあったし、仕事もちょっとうまくいかない感じもあったりとか、色々と考え直す機会にしようかって話し合って。妻、当時はまだ結婚はしていなかったけど、妻の実家がある関西の方に引っ越そうかってなって、妻の実家が京都で、僕は奈良に引っ越しました。
そこで、大阪にも行き来しながらアート系の祭の運営に参加したりとか、色々やってました。
文子:私は“ケの二”の展示をやったり、1年に1回くらいのペースで人形劇に参加したり。
ケの二の人形たち。可愛くもあり野性味も感じさせるデザインが素晴らしい。人と動物や植物などが一体となったようなデザインは『てとてとパタン』のキャラクターにも通じる。
泰人:moogaboogaの名前の由来はなんですか?
真:僕の好きなあるバンドに「Oooga Booga」という曲があって、その音の響きが好きでそれが元になっています。まことの「M」を付け、ぶん(文子のあだ名)の「B」と対にすることで2人を表しています。後付けで「ムービー」とか「動画(ドーガ)」などの言葉の響きを由来とする話も。
プチプチ・アニメ&みんなのうた制作
『モノだらけ!』
NHKの番組プチプチ・アニメ。
日用雑貨たちが主人公の作品。各話ごとにひらがなにあわせた登場人物がでてくる。第1話では「あ→アイロン、い→いと、う→うちわ、え→えんぴつ、お→おたま」という感じ。
真:しばらくして東京にいた時のつてで NHK のプチプチ・アニメの担当の人に会わせていただきました。それで企画書を送ったり、でもすぐには返事がなくて、その後に東京へ行って打ち合わせさせてもらったり、ちょくちょく東京に行ってましたね。
最初に出した企画は『モノだらけ!』と全然違うものだったりします。企画を3つぐらい出して『モノだらけ!』は4つめに出した企画書だったかな。それが作らせてもらえることになって。
ぎんなん楽団カルテット
真:同じころにみんなのうたの『ぎんなん楽団カルテット』のお仕事をいただきました。
こっちはちいさな学校経由で仕事が来ました。ちいさな学校で久里洋二さんが先生をやってるんですけど、そのとき久里さんがみんなのうたの映像を作って、ちいさな学校の生徒作品をNHKの人に紹介してくれて、その中で僕の作品も見てくれたみたいで。
その2つの仕事が2014年に決まって、そこからmoogaboogaが本格的に始動した感じですね。どちらも打ち合わせは東京に行って、撮影は関西でしました。
『リラックマとカオルさん』にアニメーターとして参加
※『リラックマとカオルさん』
リラックマ初のストップモーション作品。1話約10分、全13話でリラックマたちの一年間の生活が描かれる。Netflix独占配信。DVDやアートブックもございます。制作はドワーフ。この撮影の為にアニメーターの募集があり、約10人のアニメーターが採用された。
泰人:『リラックマとカオルさん』にも参加されてましたよね。ドワーフがアニメーターを募集してましたが、それに応募されたんですか?
真:リラックマの時は最初、関西の友達づてで話が来たんです。
文子:私が関わっている人形劇に美術で参加していた方がいて、その人は東京で仕事をしているんですね。それでドワーフの美術もやられてて、その方から「ドワーフさんがアニメーターを探してるけど、関西で出来る人知らない?」って話を聞いて。
真:募集の条件の中に“球体関節のアニメートができる人”っていう縛りがあって、僕が出来たので、それを伝えたら、ドワーフさんと連絡をとることになって。それで試験を受けて採用されて、単身赴任みたいに僕だけ東京にきました。2018年の1月から8月くらいまで。『リラックマとカオルさん』で初めてアニメーターデビューというか、アニメーターとして他の方の仕事に参加したって感じです。
そこからの縁でトンコハウスさんの『ONI』にも一部アニメーターとして参加しました。
東京へ
真:アニメーターの仕事で東京に出てくることが多くなったので、だんだんと東京に引っ越すことも考え出しました。関西だとアニメーターとしての仕事はないですし。
いまが働き盛りの年齢だし、頑張った方がいいんじゃないかって思ったり。
あと『リラックマとカオルさん』の現場で、ちいさな学校の同期の人が人形さんで入ってたりして、そこからのつながりで仕事をもらうこともありました。東京でみんなと会って刺激をもらえたり、そういうのもあって東京に引っ越すことにしました。
引っ越ししたのは今年の5月で、コロナで大変な時期と被ってしまったんですが。僕がアニメーターの仕事で3月から東京に来てたので、僕は関西に帰らないようにして、妻たちに引越し準備をすべてお願いしてなんとか引越しできました。
文子:私の実家が近いので家族にも手伝ってもらって。マルチプレーン台の解体が特に大変だったね(笑)
つづく
東京での活躍も期待しつつ、インタビュー後編へつづきます。
※顔写真は自分たちの等身大に近いからということで、家族写真をいただきました。
新作『リコラ』の放送があります!
moogboogaさんの『モノだらけ!』ではない新作のプチプチ・アニメが公開されます!ぜひご覧ください!!
プチプチ・アニメ『リコラ』
第1話「森のともだちリコラ」
Eテレ9月28日(月)午前8時45分/午後3時40分
再放送:10月5日(月)午前8時45分/午後3時40分
プチプチ・アニメ『リコラ』作品紹介記事