もう1つメディア芸術祭で見たコマ撮り作品ですごいのがあったのでで書きます。メイキング紹介ではなく、簡単な考察になります。
カナダのパペットアニメーション。劇中の男女が人形アニメを作るというストーリーでメタアニメーションと紹介されています。
新千歳空港映画祭2017でグランプリを受賞されています。
http://site2017.airport-anifes.jp/competition/awards/
予告編しかお見せできませんが、すごさというかその空気は伝わると思います。
予告編
Dolls Don't Cry / Toutes les poupées ne pleurent pas (preview/extrait) from Frederick Tremblay on Vimeo.
あらすじ(ネタバレ)と考察
話の構造とラストが衝撃的で、その考察を書こうと思います。見てない方もネタバレOKでしたらお読みください。
話が複雑なのであらすじと同時に感想を書きます。太文字があらすじです。1回しか見てないのと、話が長い(20分もある!)ので細かいエピソードは間違ってるかもしれません。
劇中にセリフはありません。
夜、男性が人形アニメの撮影をしている。ウサギの人形と狼(狐かも?)の人形の話。撮影がおわり、男性は美術の指示書を書き、眠る。昼になり、女性(友達か恋人か)がやってきて、指示書を見て木のオブジェを作る。女性が帰ると、男性が起きてきてその木のオブジェを使って次のシーンの撮影をする。
撮影中にウサギの人形が壊れてしまう(ヒューズが折れる)。女性がやってきてウサギの人形を新しく作る。夜に男性が撮影し、昼になると女性がやってきて美術作業をすすめる生活がつづく。
夜にアニメートするのがコマ撮り経験者としては面白かったです。自宅で自主制作的に作っていると斜光の意味からも夜にアニメートするのが楽ですし、もしかしたら男性が夜行性なだけかもですが、「昼に来て作業お願い、僕は寝てるけど」って会話がありそうで、なんかリアルというか親近感を覚えました。
ちなみにシーンはすべて部屋だけですすみ、昼や夜というのは窓の外の明るさや、玄関から入ってくる光だけで表現されています。
美術作業中の女性を戸棚の中から見つめる存在がある。女性はその視線を感じ、戸棚をあけると奥から人形(等身大のツルツルのマネキン)が出てくる。マネキンは女性の顔や胸元に手をのばし、女性にあこがれているかのよう。
ここから一気に不穏な空気になります。戸棚の中から女性を見つめる視線のカットのときはゴォーーーという小さな音がなり、ホラーな演出になっています。しかし僕は不穏な空気を最初から感じていました。人形のデザインが可愛くないのもそうなのですが、照明の具合やカメラアングルがどことなく不穏なのです。
女性はマネキンのことを男性には言わない。アニメ制作が進む中、女性は服を持ってきてマネキンに着せる。メイクをして、マネキンは徐々に女性に近く。女性が帰るときや男性が起きてくるときはマネキンは戸棚の奥に帰る。
ここから物語のメタさが複雑になります。説明のためにマネキンと書きましたが、そのマネキンと主人公たち男女の人形の素材感は同じであり、実は主人公たちの世界からしたらこのマネキンは「坊主の裸の女性」になるのです。なので服をきせてメイクをさせると完全に女性と同じようになっていくのです。「この話はどこにいくの??」という不安感が出て来ます。
ある日、女性の腕も壊れてしまい修復しようとする。
文章で書くと意味不明ですが、メタ構造がさらに壊れます。予告編で見てもらえばわかりますが、主人公たちの人形の素材はラテックスやフォームラバーのようなものではなく紙のような素材でできており、デザインも手首に関節の隙間があったりします。その腕がとれて、隙間からヒューズ線が見えるのです!そのことに女性は驚きもせず、淡々と自分の腕を修理しようとします。そしてこのあとのラストが怒涛の展開です。
マネキンに誘われて女性は戸棚の奥へと入る。そこには真っ黒な廊下があり、奥へ進むとたくさんの人形(女性)が山積みになって捨てられている。女性は自分の身に危険が迫っていることに気づき、あわてて部屋に戻ろうとする。追いかけるマネキン。走って逃げようとするも、女性の脚が折れて(人形として関節が壊れる)、倒れてしまう。撮影部屋にいた男性が、物音に気付いてリビングに行こうとする。
その瞬間、カチっという音(男性がアニメを撮っている時のシャッター音と同じ音?)がして、男性も女性もマネキンも動きがとまる。上から巨大が手がやってきて女性を掴み上げ女性を人形の墓場に捨てる。女性の髪(カツラ)をはずしマネキンにかぶせ、完全に女性と同じになったマネキンをリビングに立たせる。ふたたびシャッター音がして、動きが止まっていた男性が動き出し、リビングに入ってくると女性(=マネキン)が迎えて、エンディング。
実は人形アニメを作っていた男女も人形で、自分たち自身も神(上位の存在)による人形アニメーションだったというオチなのです。
女性が、自分自身が人形であることに自覚的でありながら、交代されそうになったところで逃げようとするのは人形交代のシステムだけは知らなかったのか、生にしがみつこうとしたのか、男性は自分たちが人形であることに気付いてないのか?など若干の矛盾のようなものはありますが(もしかしたら矛盾はないのかもしれませんが)、とても面白いストーリーでした。
一番面白いポイントは最後にでてきた巨大な手、主人公からしたら神ともいえる存在の手も、実写の人間の手ではなく、関節の隙間が見える人形の手ということです。神もまた人形、つまりさらに上位の存在によるパペットアニメーションなのかもしれないという話。
鈴木光司の小説『ループ』という小説があります。『リング』『らせん』につづく三部作の完結編です。ホラーではなくSFになります。
そこではスーパーコンピューターによる地球をまるごとシミュレーションしようという計画がでてきます。実際にスパコンの中で地球の誕生からすべてシミュレーションし、電子の世界にも人間が誕生します。そうなったときに、自分たちの宇宙もじつはスパコンの中の存在ではないのかという発想がでてきます。スパコンの中の地球に住む人間たちがスパコンを作って、次の地球をシミュレーションする。ループする世界。Dolls don’t cryを見終わった時にこの小説のことを思い出しました。
映画とかを作っていると「この僕の生活は誰かが作った小説や映画かもしれない」という発想がでてきます。この作品は「この世界が実は人形アニメーションかもしれない」という発想からできていると思うのですが(完全な予想です)、そのときに、自分たちが人形アニメを作っていることが世界のループになると同時に自分たちを作っている神もまた人形アニメーションかもとループの発想を広げれたのです。
そんなSF設定を人形アニメに落とし込むことで、この作品は実写映画では達成できないメタ構造と入れ子構造を実現しています。すごいです。ストーリーが不穏でホラーで、ラストの展開にドーンッと殴られ、尺も20分もあるし、見終わったときにヘトヘトになってしまいました。世の中にはすごいコマ撮りがたくさんありますね。まとめになってませんが、この辺で。